最近、「毒親」という言葉をよく耳にするようになりました。主に、子どもに干渉しすぎてしまう親のことをそう呼ぶそうです。子どもに干渉しすぎてしまう親の行動とは具体的にどういったものでしょうか。少年サッカーの現場でありがちな親の過干渉について、ひとつ例を挙げてみましょう。
「うちの子をなんで試合に出さないんだ」
そうコーチに怒る行為は、過干渉といえるでしょう。その結果として、子どもが試合に出場できるようになったとして、果たして子どものためになるでしょうか。サカイクキャンプで指揮をとるシンキングサッカースクールの高峯弘樹ヘッドコーチに話を聞きました。(取材・文/出川啓太(サカイク編集部) 写真/田丸由美子)
■“木に立って見る”と書いて親と読む
「ぼくの指導経験のなかでも、なぜうちの子を試合に出さないんだ、と電話をしてくる親はいました。それも、大学生の親です。ぼくはサッカーコーチですが人の親でもあるので、子どものためになにかしてあげたくなる気持ちはわかります。ですが、その気持ちを満たすための行動は、子どもの成長につながるかどうかを考えてから実行する必要があるのではないでしょうか」
仮に、親がコーチに詰め寄ることで子どもが試合に出られるようになったとしても、それは子どもが自分で勝ち取った成果ではありません。なぜ試合に出られないのか。その理由を考え行動することが子どもの成長につながるのではないでしょうか。子どものためを思っての行動が、逆に子どもの成長を阻害してしまう。子どもと接する際には、その可能性を考慮して行動する必要があると高峯コーチは言います。
「ぼくは金八先生で育った世代です。金八先生と言えば漢字ネタですよね。ぼくが一番印象に残っているのは、『“木の上に立って見る”と書いて親と読む』という言葉です。親とは本来、自分の目線で『こっちに進みなさい』と答えを示すのではなく、子どもを見守り、転んだら立ち上がれるようにそっと手を差し伸べてあげるような存在だと思うんです」
■『コーチ』の語源とは?
あなたは、子どもが自分の示した答えどおりに進まないとイライラしてしまうことはありませんか?
わたしは、これだけやっているのに!
なぜ、こんなこともできないんだろう…
そう考えることに疲れてしまうことがありませんか?
「コーチングとティーチングは違います。この違いをしっかりと理解できていないと、子どもを育てるときにイライラしたり疲れてしまう。ぼくもそうでした。『コーチ』という言葉は、馬を目的地まで引っぱる者に語源があるそうです。馬を力ずくで誘導しても馬は言うことを聞いてくれません。馬と一緒に目的地まで行くためには、馬と会話し馬と同じ目線で同じ目標を目指す必要があります。ぼくは、サカイクキャンプやシンキングサッカースクールで子どもと触れ合うとき、つねにそれを意識するようにしています」
【告知】「球蹴り」から「サッカーをプレーしよう!」
3日間のキャンプで伸ばす!子どもの「考える力」をコンセプトに、2年間で延べ600人を超える選手たちが参加した「サカイクキャンプ」が12月(大阪)・1月(千葉)で開催されます。高峯コーチがメインコーチを担当し、「球蹴り」から「サッカーをプレーしよう!」をテーマに、サッカーと生活面で自分で考え判断できるようにトレーニングします。
取材・文/サカイク編集部 写真/田丸由美子