文武両道のサッカー選手として知られ、現在は起業家、ビジネスパーソンとして活躍している元浦和レッズの西野努さんにお話をお聞きしています。
第二回の今日は現役引退からセカンドキャリアのお話を中心に、サッカー選手の目指すべき道、進むべき方向について聞いていきましょう。
リヴァプール大学フットボール・インダストリーズ・コースに入学しMBAを取得した西野努さん
■現役選手からフロント入り、そしてイギリスへ
現役時代を退いてすぐ、西野さんは9年間在籍した浦和レッズのフロント入りすることになります。戦力外通告と同時にクラブからは「コーチでもフロントでもいい」とクラブに残ることを打診されます。
「当時は“現場を知るフロント”がほとんどいなかったので、フロントで何かお手伝いできればと思っていました」
現役時代とはまったく違う、経営サイドの視点からサッカーを見つめることで多くを学んだと言います。
「フロント入りするのと同時期に、海外に行こうというのは決めていました。それでクラブと話をして『これからのJクラブには欧州を知る人が必要』ということで、リヴァプールへの留学を認めてもらえたんです」
リヴァプール大学で学び、フットボールMBAを取得、順調に充実したセカンドキャリアを歩んだように見えますが、実はこのとき西野さんの中にはくすぶり続けているものがあったそうです。
「現役時代は1試合1試合にかける緊張感、勝ったときの達成感、負けたときの悲壮感、毎日そういった切迫した状況に常に身を置いていたわけです。関わり方が違うので当たり前ですが、フロント入りしてからそういう思いをしなくて良くなった。ホッとした部分もあるのですが、何か物足りないと思う自分もいたんです」
西野さんはその後、クラブを離れることになりますが、この時期の模索についても率直に話します。
「サッカー選手は多かれ少なかれこういう経験をしていると思います。“さまよう時期”というのか……。何かをしたいけど、現役時代ほど燃えるものがない。それを見つけるために試行錯誤する。当時はリーグのキャリアサポートもありませんでしたし、セカンドキャリアをどうしようという考えもなかった。それでいろいろやってみて起業をすることになったんです」
求められていること、自分のやりたいことのマッチングを模索し、自らの会社を立ち上げる。そのことで、自分の意志決定がそのまま成果につながる充実感を得たと西野さんは言います。
「起業して、とにかく何でもやってみて、4,5年ですかね。ようやくサッカーに向かうような気持ちでいま自分が置かれている状況を戦えるようになったのは」
本気で戦ったことのある人間だからこそできることがあるように、その状況を別の世界で作るまでは迷いもある。このことが、プロスポーツ選手のセカンドキャリアは難しいと言われている一因なのかもしれません。
浦和レッズ時代の西野努さん ?URAWAREDS
■やり切ってこそ「次」が見えてくる
現在はJリーグのアカデミー選手むけのキャリア研修でファシリテーターを務めている西野さん。毎年、新人選手の考えに触れて“いまどき”の選手たちの成熟ぶりに驚くそうです。
「いまの選手の方が自分たちのときよりもはるかに大人ですよね。考え方もしっかりしていて知識もあるし、冷静に物事を見ている。反面、もっとがむしゃらにサッカーだけをやり切る! という考えも必要ではないかと思います。野望が足りないかな?笑」
サッカーは思い切り走って、蹴って、やり切るスポーツ。セカンドキャリアを念頭にセーブしたり、入ったときから次の就職先の心配をしながらサッカーをするのは少し違和感がある。西野さんは、ある時期、精一杯サッカーをやってそのことが身になって第二の人生に役立つ“仕組み作り”がこれからのプロサッカー、Jリーグに求められていることではないかと指摘します。
「学生時代に勉強をした方がいいというのは、なにもサッカーで挫折したときの“保険”という意味ではありません。スカウトをしていたときに思ったのは、サッカー以外に何もない選手は視野が狭く、これからの可能性、この選手にかけてみたいと思わせる魅力に欠けているものです」
サッカーに打ち込み、勉強も効率よく効果的にこなせる。サッカーで活かしている知性を勉強にも発揮できる。そういう選手がプロの世界でも息の長い活躍をして、充実したセカンドキャリアを送れる。こうした環境作りのためにも、西野さんは子どもたちの教育に力を入れるタームが来ているといいます。
■転機をくれた息子たち 育成、教育が新たな活躍の場に
「自分に子どもができてからですが、育成や教育の現場を我がこととしてみるようになり『このままではいけない』という思いが強くなりました」
サッカースクールの運営や幼児向けの運動プログラムの提供など、事業として関わってきた分野に父親として接してみると、まだまだ届いていない、整備されていない面が目に付くようになったそうです。
「いろいろな指導を受けて、多くの指導者を見て思うことは、良い指導者は“気づかせる指導”をしているということです。正直プロで試合に出ていたときもピッチサイドでどなりながら何か言われも聞こえませんし、耳に入りません。子どもたちはもっとそうだと思うんです」
自主性や自分で考える力を養うためには教えすぎない、強制しない指導方法はいいに決まっている。学生時代自分たちで考えながら練習方法を編み出して、必死に練習し、プロになった西野さんだからこそ「自分で考える」ことの価値を語る重みがあります。
現在小学5年生の「それぞれ性格はまったく違う」という双子の男の子を持つ父親でもある西野さん。少年団に所属する子どもたちのお父さんコーチを買って出ることもあるそうです。
■技術よりも大切なこと 失敗もときには必要
「指導するときは技術的なことよりも基本的なこと、人間的なことを言っていますね。“元Jリーガー”として、周りの親御さんたちから期待されていることとは違うかもしれませんが、良い選手は言われなくても動いているし、強いチームはあいさつやグラウンド整備からして違います」
Jリーグが誕生して、サッカーは日本でも有数の人気競技になり、育成環境も形の上では整ったように見える現状。西野さんは「何でもそろっていて、親やコーチが先回りしすぎる弊害」もあると言います。
「失敗させたくないという親御さんの気持ちはよくわかりますが、失敗から学ぶこともあります。忘れ物をして困るのは本人。試合に出れなかった悔しさを噛みしめて次につなげればいい。でも、親が届けに来て、試合に間に合って出場できたらその子はまた忘れ物をしますよね。親が失敗する機会を奪ってしまっているんです」
「何をしてあげる」よりも「何をしないか」。こうした現状を見て、西野さんは自らの事業の方向性ももっと子どもたちにスポットを当てたものにしなければという思いを新たにしたそうです。
「いまはスクール事業や教育の分野にもっと注力したいと思っています。サッカーだけでなくサッカーを通じた人間形成、人材育成ができるようになって初めて日本のサッカー文化が豊かになったと言えるのではないでしょうか」
ビジネスとサッカー、その両方で知性を発揮する“元Jリーガー”にしかできないこと。西野さんは「もう元Jリーガーって感じも抜けてきましたよ」と笑いますが、こうした経験を現場で活かしてくれる先駆者の存在は、後に続くすべてのサッカープレイヤーの大きな道しるべになるはずです。
西野 努//にしの つとむ
1971年奈良県生まれ。Jリーグ開幕からDFとして浦和レッドダイヤモンズで活躍した。奈良県立奈良高校から神戸大学へ進学。スポーツ推薦を受けずに進学校でプレーしていたことでも知られる。9年間の現役生活の後、引退。
現在は株式会社オプト・スポーツ・インターナショナル代表取締役、株式会社SEA Global取締役を務め、スポーツビジネスの現場で幼児向け運動プログラムやスクール事業などを手がけている。産業能率大学客員教授。
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・スポーツ幼児園 キッズ大陸 (埼玉・神奈川)
・Jリーグ アカデミー選手向けキャリア教育インストラクター
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取材・文/大塚一樹