2002年の5月、ワールドカップ直前の時期に、オリヴァー・ビアホフが13年間の学生生活の末に、経営学の学位を取得したことがニュースになりました。
オリヴァー・ビアホフといえばセリエAで得点王を獲得し、現日本代表監督のアルベルト・ザッケローニ監督率いるACミランでスクデットを獲得した長身フォワードという記憶を持っている方が多いと思います。
日本ではどうか分かりませんが、ドイツの子どもたちは彼のことをドイツ代表のニュースの度に出てきて、何かを話すマネージャーだと思っています。彼がセリエAの得点王だというと、「マリオ・ゴメスやクローゼよりも凄いの?」と聞いてくるほど、サッカー選手としてのイメージがありません。代表でもトップレベルで活躍したサッカー選手が大学を出て、自分の足でキャリアを築く、というイメージは一般的ではないからです。ビアホフが卒業までに13年という時間を要し彼の大学卒業がニュースになるのは、それが大変珍しく難しいことだからです。
それでは、ビアホフがどのようにこの偉業を成し遂げたのでしょうか。まずはドイツの学校制度をざっと見て行きましょう。
まず、大学に入るためには、アビトゥアという大学入学資格を取らなければなりません。それには、ギムナジウムと呼ばれる、日本では普通科の進学校に当たる学校に進む必要があります。他には、ハウプトシューレ、レアルシューレなど、職種によって、中学校の年代(早い州では11歳から)で進学先が決まります。もちろん、成績とやる気次第で、学校を変えることも出来ますが、基本的には小学校5年生の段階で、18歳までの進む道は決められてしまいます。ドイツでも、このシステムには賛否両論あり決まった正解は出ていません。
はっきりしていることは、ドイツの学校では遠征などの影響が考慮されることは少ないので、時間が制限されるトップレベルの育成カテゴリーの選手がこのアビトゥアを取ることは非常に難しく、ユースチームの監督たちにとって選手をトップチームに昇格させることと同じように誇らしいことなのです。これはサッカー強豪校の選手が選手権に参加しながら大学受験に挑戦する日本の高校生にも共通している感覚かもしれません。
このニュースを伝えたウニ・シュピーゲル誌によれば、ビアホフが大学に入り経営学を専攻したのは、父親との約束だったそうです。彼がプロサッカー選手になることを許す代わりに大学を卒業する、という条件を出しビアホフはそれを守ったのです。
プロとして出番の少なかった最初の1年は問題なく単位を取れましたが、出番が増え活躍し、いよいよトップレベルの選手になると、もはや時間を確保するのも精一杯になります。通信制なので、授業は自分のペースでできますが、試験は大学のキャンパスか、外国でプレーするとなると、各国のゲーテ・インスティテュート(世界中に展開するドイツ語学校施設、ドイツ政府からの支援も受けていて、日本にも設置されている)で決められた時間に参加しなければなりません。もし、その時間に試合が組まれてしまえば、もう1学期、半年後まで待たなければなりません。そういうこともあって、この13年間というのは、ビアホフにとってはプラン通りの長さでした。ビアホフは、選手として絶頂期の1998年に「大学卒業まであと何年かかるか」と問われて「3、4年。卒業論文ははっきりしてないけれど、なにかしらサッカーに関わるものになると思う」と答えていて、その通りになりました。ちなみに、卒業論文のテーマは「株式上場したサッカークラブにおける市場での株価の推移と順位の影響の特定」というものでした。
成績そのものは6段階で3と平凡なものでしたが、ビアホフが卒業したハーゲン大学の学長のヘルムート・ホイヤー氏は「通信制の大学を卒業するのは、通常の大学よりもずっと難しい。なぜなら、自分を律することができるディシプリンが必要になるからだ。学生は、自分の中にある怠惰な負け犬に打ち勝たなければならないのです」と言います。
筆者がこのビアホフの例から言いたいことは、大学や学歴云々ということではありません。そうではなくて、目的を達成するまで亀のようにゆっくりとでも前進できる我慢強さの大切さです。そして、それを達成するために、自分で先を見通して逆算から目的に至る時間を計算し、計画する能力が必要です。おそらく彼は大学を卒業しなくても生活できるでしょう。しかし、ビアホフは父との約束を守り、自分の能力でキャリアを築くことを選びました。2004年以降のドイツ代表の活躍の裏には、彼のマネージメントがあるのです。
ブンデスリーガの育成機関でも、最近ようやくクラブと学校が連携する動きが主流になってきました。日本では部活をはじめ、学業に専念しながら、本格的にサッカーもプレーできるシステムのベースができあがっています。
見方を変えれば、日本はサッカーと学業における文武両道を実現できる環境が整っているとも言えます。その中にいると、気づかないこともあるかもしれませんが、じつは子どもに「何をしたいのか」という自覚さえあれば、学びの環境自体は、ヨーロッパよりも整っているかもしれないのです。
夢は叶うかどうかが重要なのではなくて、「今やっていることは(将来の)自分にとって役に立つ(かも知れない)」という実感を与えてくれることが重要なのです。それが子どもを成長させてくれます。目標を立てることは、その実感を感じられるようにする、ちょっとしたコツのようなものです。
まずは「こうなりたい、これをしたい」という目標を子どもと一緒に立ててみてください。目標はそもそも前提として変わるもの、と考えれば、難しいことも無いと思います。「今やっていることは将来の自分に役に立つだろう」という実感が成長の第一歩なのです。
鈴木達朗(すずき・たつろう)
宮城県出身、ベルリン在住のサッカーコーチ(男女U6~U18)。主にベルリン周辺の女子サッカー界で活動中。ベルリン自由大学院ドイツ文学修士課程卒。中学生からクラブチームで本格的にサッカーを始めるも、レベルの違いに早々に気づき、指導者の目線でプレーを続ける。学者になるつもりで渡ったドイツで、一緒にプレーしていたチームメイトに頼まれ、再び指導者としてサッカーの道に。特に実績は無いものの「子どもが楽しそうにプレーしている」ということで他クラブの保護者からも声をかけられ、足掛けで数チームを同時に教える。Web:http://www.tatsurosuzuki.com/
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文/鈴木達朗 写真/サカイク編集部