考える力
ブラジルのストリートサッカーにある"個性が生まれる風土"
公開:2014年7月 2日 更新:2019年10月23日
日本人って、同じような選手が多いと思いませんか? ザックJAPANのメンバーは、個性豊かというよりもどちらかと言えば似たような選手ばかりでした。もちろんザッケローニ監督が目指したサッカーを実現するためにそうなったことは理解できます。しかし、本当にそれだけが理由でしょうか。
育成年代の頃の記憶をたどると、「パスはゴロで丁寧に出しなさい」と教わったことを思い出します。みんなが同じ練習で同じところを目指します。これが悪いとは言いません。
しかし、ブラジルで実際に参加してみたストリートサッカーでは、育成年代の子どもたちはまったく違うアプローチでサッカーをプレーしていました。もしかすると、個性的な選手というのは、こういうところから生まれているのかもしれないなと感じた話です。
(取材・文・写真/遠藤由次郎)
■リオのストリートサッカーで感じた個性の生まれる環境
リオデジャネイロ市内にある自由に使える人工芝のコートが舞台。全部で7、8面ほどあり、それぞれたくさんの子どもたちがサッカーをしていました。その中でもっとも「年齢層」「肌の色」「プレーする服装」が多様なグループに参加させてもらいました。
他のグループとも共通することですが、上手い子と下手な子の差が大きく、年齢層にも幅がある。そして裸足、スニーカー、サッカーシューズ、ジーパン、ベースボールキャップと服装もバラバラ。その中で、彼らは自分の立ち位置を鑑みて、自分ができることを理解していました。少し肥満気味の男の子は、ゴール前でのパワープレーに徹します。裸足の男の子は、スパイクに踏まれないようにスピード勝負。キックが得意な大人は、裏に抜け出す子どもにパスを供給します。
自分の役割に誇りを持ち、自分のエリアでのプレーでは上手い子に何を言われても動じません。「これが俺の専売特許だ」と自信満々です。
きっとこういう環境が、長所や個性を磨くのだろうなと感じました。できないことを伸ばすよりも、できることを徹底してやる。その中で個性が生まれていくのでしょう。
それは彼らの生活環境のレベルが、それぞれ違うことにもあるでしょう。サッカーシューズのある子は、サッカーシューズのあるプレーを伸ばしていきます。幼い頃からクラブチームの練習に参加する子どもは、よりテクニックを伸ばしていく。
大切なのは、そういった土台の異なる子どもたちが、一緒にプレーをする環境があること。リオデジャネイロのストリートサッカーを見学し、実際に一緒にプレーをしてみて、そんなことを思いました。
■ゴロのインサイドパスが一番良いというわけではない
さらに驚いたことがありました。パスの種類がいろいろあるということ。特に上手い子。パスを送る相手を見てパスの種類を変えています。たとえば、Jクラブの下部組織のように、みんなが平均的に上手なチームでは、ゴロで質の良いパスを送れば良いでしょう(もちろん足の速い相手や左利きなどを考慮することはあると思いますが)。
でも彼らは違いました。上手い子に対しては、わざと浮いたパスをすることで、ディフェンダーの背後を取るようなトリッキーなプレーを促します。
下手な子に対しては、ゴロで少し弱めのパスを心がけます。小さい子には、小さい子用のパスをしていました。
特にゴロで出せばいい状況なのに、わざとパスを浮かせた場面は興味深いところでした。
日本でそれをすれば、「ゴロで丁寧に出せ!」と、コーチもボールを受け取る側も、注意するところかもしれません(私の少年サッカー時代の記憶では、そういうことがありました)。
日本では、サッカーをする環境はどんどんと組織化されています。それによって技術が格段に向上し、今の日本代表のようなパスサッカー、ポゼッションサッカーが生まれました(こんな簡単には言い表せない話だと思いますが…)。
でもクオリティの高いクラブチームでの練習だけでは、リオで見たような浮いたパスは生まれにくいかもしれません。町の公園でその場に集まった、年齢も性別も生活水準も違う子どもたちが、一緒になって遊びのサッカーをする時間や環境をとても大切なことなのではないでしょうか。
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取材・文・写真/遠藤由次郎