考える力
ぜったい子どもに伝えたくなる! スポーツマンシップの歴史
公開:2014年9月 8日 更新:2018年12月 6日
試合中、接触プレーなどでピッチに選手が倒れ込むと、オンプレーでもボールを外に蹴りだす慣習がサッカーにはあります。倒れた選手のチームメイトは、ボールを蹴りだしてくれた相手チームに感謝し、試合が再開するとボールを返します。スポーツマンシップに溢れる素晴らしい一幕です。子どもの試合を観戦中に、そういった場面に出くわすことも少なくないでしょう。子どもたちには、ぜひともスポーツマンシップを身につけてもらいたいものです。
では、ここで問題です。このスポーツマンシップは、どこで生まれた考え方なのでしょうか? 子どもに「スポーツマンシップってなに?」と聞かれたときにしっかりと答えられるように、その起源について『新しいスポーツマンシップの教科書』の著者である広瀬一郎さんに教えてもらいましょう。
取材・文/広瀬一郎 写真/田川秀之
■「戦い」ではなく「交渉」から生まれたスポーツマンシップ
前回、「近代スポーツ」の母国、19世紀の英国について触れました。史上初めて「産業革命」を実現し、そこからやはり人類初の「社会」が誕生したので、まったく新たな行動規範が必要になったのです。(後に触れますが、「社会」は「国民国家」の基盤です。20世紀になって、国民国家が続々と増えました。それは社会が増加した、ということでもあります。新たな国民国家は、先行した英国を模範にしました。特に国民の育成に有効なスポーツは、各国で積極的に取り入れられました。スポーツマンとは、言い方を変えれば「良き市民」のモデルでもあり、国民のあるべき姿でもあるのです。20世紀は国民国家が地球を被う世紀でしたが、それは同時にスポーツが世界化した歴史でもありました。(第一次世界大戦後の国際連盟に加盟した国の数と、第二次世界大戦後の国際連合の加盟国数の増加は、IOC加盟国の増加とほぼ相似形を成していますが、それは全くの偶然ではないのです)
19世紀中葉のビクトリア朝イングランドでは、「文明的(civilized)」であるかどうかが重視されていました。当時、文明化は「スポーツ化」とも呼ばれていたのですが、その中核にあるのは「非暴力」という点でした。「暴力」は「野蛮」を意味し、軽蔑されていたのです。
近代以前は、基本的には武力でモノゴトが決められていました。しかし、ヨーロッパでは三十年戦争以降、厭戦気分が高まり、「戦い」ではなく「交渉」や「ルール」でモノゴトを決めようと言う気運が広がっていました。
イングランドはその後「無血革命」を成し遂げ、それを「名誉革命」と名付けました。それは、武力ではなく「交渉」によって革命を成し遂げたというプライドの現れだったのです。
■ジェントルマンを育成するためのスポーツ
近代国家としての国民国家をいち早く樹立したイングランドでは、暴力ではなく、冷静な理論で問題を解決することが「文明化した社会に生きる市民の行動規範」だという考えが定着し、そういった行動をとる理想的な人物像を「ジェントルマン」と呼ぶようになりました。ジェントルマンには何よりも非暴力であることが重要なのです(そして、これはじつに勇気のいることなのです)。同じ頃、スポーツも「ルール」によって「暴力は禁止」されるようになりました。
近代のパラダイムは、「理性」「進化」「啓蒙」の3つですが、ルールによる暴力の抑止は「理性」に、「進化」は練習による進歩に、啓蒙はまさしくスポーツの普及に相当します。すべてのスポーツ競技団体は、競技の「向上」と「普及」を目的としています。これは言うまでもなく、「進化」と「啓蒙」を背景にしています。こうしてみると、スポーツは近代を体現していることがよく分かりますね。
ジェントルマンを育成するのは、当時のパブリック・スクールの役割だったのですが、この学校にはもう一つの国家的な使命がありました。それは「植民地の管理者」を養成することでした。マネジメント学のオーソリティー、ドラッカーは、「ビクトリア朝イングランドの成功の鍵は、植民地政策の成功にあり、それはミドル・マネジメント人材の育成の成功によってもたらされた」と喝破しています(ミドル・マネジメントとは、取締役クラスではなく、支店長クラスのことです)。
取材・文/広瀬一郎