FC東京のゴールキーパー権田修一選手。小学生時代から市・県選抜に選ばれ、中学へ進学と同時にFC東京U-15に入団。ゴールキーパーというポジションを始めたきっかけや、ご両親に支えられながら成長してきたという想いを2回にわたってお届けします。
■フィールドでは試合に出られる気がしなかった小学生時代
――権田選手がサッカーを始めたのは?
「幼稚園の年中の頃なので3歳~4歳くらいですね。母がテレビか本でサッカーは幼稚園児にもわかりやすくて、団体でやるスポーツが子どもの成長に良い影響を与えるということを知って、僕が当時通っていた幼稚園のサッカークラブに入れたんです。それがサッカーを始めたきっかけになりましたね」
――お母さまも何かスポーツをされていたんですか?
「背が高いので昔バスケットボールをしていたようですが、真剣にやっていたという感じではなかったようです。むしろ、父の方が本格的で、実業団でプレーするバスケットの選手だったんです。僕が生まれたときもヘッドコーチもやっていたようで、母親は冗談でよく『あなたは私が育てたのよ』と言うくらい(笑)、父は週末はバスケットの試合で家を留守にすることが多かったみたいです」
――では、幼い頃、お父様と遊んだという記憶もあまりない?
「僕が幼稚園に入った頃にはコーチも辞めたらしいのですが、それまではあまり遊んだ記憶がありません。ただ、僕が小学校のクラブに入ると、所属していたチームにコーチがいなかったので、コーチをしてくれることもありました。小学生時代は練習場が遠かったので、週末になるとよく送り迎えをしてもらった記憶がありますよ」
――お父様からバスケットを薦められることはなかったんですか?
「それはあまり言われなかったですね。でも、多少なりとも父の影響があったからこそ、今、サッカーで唯一手を使うGKというポジションでプレーしているのかもしれません。なんとなくバスケットでやる動きが、GKのトレーニングに似ている部分もあって、教えてもらったりしたこともありましたから」
――そもそも権田選手がGKというポジションでプレーするようになったのは?
「正直、あまり明確な記憶はないんですが、小学校1,2年生の頃にPKを止めたという記憶はあります。それぐらいの年代ってみんな前の方のポジションをやりたいという子どもが多いと思いますが、僕も点を取ることに対しての憧れはすごくありました。でも、サッカーが下手だと思っていたし、足もあまり速くはなかったので、GKじゃなきゃ試合に出られないという気持ちがあったんだと思うんです。フィールドじゃ試合に出られる気がしなかった。そこであえて挑戦するという選択もあったんでしょうけれど、それ以上に試合に出たいという気持ちの方が強かったんだと思います」
――ゴールを止めればヒーローですが、点を決められれば責任を感じるポジションということで、抵抗はありませんでしたか?
「それが不思議となかったんですよ。その当時はあまり深く考えていなかったような気がします。試合に負けて『悔しい』と感じたり、泣いたりすることはありましたが、ただそういう気持ちだけで、当時は責任とかあまり深くは考えていなかったと思います」
――その当時はどんな練習をしていましたか?
「小学生の頃は父がコーチのようなこともしてくれていたんですよ。父が書店で小学生向けのGKのトレーニング教本を購入して、そこに書いてあるキャッチングの方法などを見ながら練習をしていた記憶があります。父は本当にすごくマメでしたね。多分、自分も真剣にスポーツをやっていたから、いろいろとわかる部分があるのだと思いますが」
■負けたことを、人のせいにしてはいけない
――ご両親も熱心に応援してくれていたと伺うことができます。権田家の教育方針は?
「今でもよく覚えているのが、小学生の時にある試合で自分が失点をして負けたことがあって、その試合後、僕が味方に対して文句を言ったことがあったんです。すると母親から『なんであんたはあんなに文句を言うの。あなたGKでしょ? あなたが取ればいい話じゃない』と怒られて。試合に負けて悔しくて慰めてくれるのかなと思っていたら、『あんなふうに怒っていたけれど、私はああいうのが本当に嫌い』って。責任を人に転嫁するなということを僕に伝えたかったようなんですが、母自身もスポーツをやっていたからこそ、そういう部分ではすごく厳しかったですね。逆に、試合に勝った時には自分のことのように一緒になって喜んでくれましたけれど」
――サッカー以外の面で怒られた記憶は?
「『勉強をしなさい』とか、あとよく言われたのは人とお金の貸し借りは絶対にしてはいけないとか……人として基本的なことですね。それ以外は自由にのびのびと育ててくれたと思います」
――その頃からもうプロサッカー選手になることは夢でしたか?
「そうですね。あくまでも小学生なりの夢で漠然としたものでしたけれど、サッカー選手になりたいとは思っていました。ただ、それ以上に、純粋にサッカーをすることが楽しかった。その頃はまだ遊びでしかなかったように思います。練習も1週間のうち2日しかなかったですし、それ以外はFC東京のスクールに通ったり、友達と児童館で遊んだり、校庭開放で遊んだりしていました。とにかくずっと身体は動かしているような子どもでした。ただ今考えると、よくこんなに動けていたなと感心するくらいつも動いていました(笑)」
■ジュニアユースでも、プロサッカーチームの一員
――サッカー選手になりたいと真剣に考え始めたのは?
「FC東京U-15に入った頃ですね。やはりプロサッカークラブのユース組織に入ったからには、そういうものを目指したいと。小学校の時は川崎のチームで、中学校に上がる時に、いくつかの神奈川のチームから『練習会に来ない?』という誘いもあったのですが、当時、自分の中で東京のチームは強いというイメージがあって。FC東京は小学校時代にスクールに通っていましたし、試合も良く見に行っていて好きなチームだったのでU-15のセレクションを受けることになったんです。合格した時には両親から『入ったからにはちゃんとやりなさい』と言われましたし、小学校時代のコーチからも『ジュニアユースかもしれないけれど、お前たちもFC東京の一員なんだからな』ということは言われました」
権田 修一//
ごんだ・しゅういち
GK。1989年3月3日生。東京都世田谷区出身。FC東京所属。17歳の時からトップチームに帯同し、高校在学中に正式に昇格する。ユースではU-17日本代表に選出され、2004年のAFC U-17選手権では日本のゴールマウスを守った。2009年12月のアジアカップ最終予選イエメン戦で先発出場を果たし、A代表デビューを飾る。今年のロンドン五輪ではU-23日本代表の守護神として、44年ぶりのメダル獲得をめざす。
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取材・文/石井宏美 写真/新井賢一