蹴球子育てのツボ ~サッカーで子どもは一人前になる~
2022年7月20日
試合に出られない息子。上達しないのに時間の無駄と思う自分がイヤです問題
子どもが試合に出られないのに、チームに協力したくない。新しいメンバーが入ってきて、前からいる子では息子だけ出れなくなった。周りのママたちは慰めてくれるけど、出られる子の親に私の気持ちなんてわからない。
サッカー辞めさせると言っても子どもは嫌だと言うし、何もかもが嫌になった。というお悩みをいただきました。みなさんもこんな苦しい思いをしたとき、どうしますか?
今回もスポーツと教育のジャーナリストであり、先輩サッカーママでもある島沢優子さんが、これまでの知見をもとに、悩めるお母さんに寄り添いアドバイスを送ります。
(文:島沢優子)
(写真はご質問者様及びご質問内容とは関係ありません)
<<強豪クラブで試合に出られなくなった息子にどう接すればいいのか問題
<サッカーママからのご相談>
はじめまして。
以前配信された記事(試合に出られないのに自主練提案しても手応えなし...。競争心の無い息子にイラつく自己嫌悪ママの問題)を見て、自分と全く同じ問題だと感じました。
似たような相談になってしまうかもしれませんが、アドバイスいただけませんでしょうか。
配信された記事では「試合を見なければいい」とありましたが、やっぱり気になってしまいます。子どもはサッカーが楽しいと言っていますが、試合に出られないのに何も協力したくなくて......。
うちの子は10歳です。今までは人数ギリギリだったため、出られないと悩む事はなかったのですが、最近一気に3人も入ってきて、前から居たメンバーでうちだけ出られなくなりました。出してもらえないイライラもそうですが、がっかりで居たたまれない気持ちになりました。
チームのママたちは慰めてくれて、「ランチいこう」と誘ってくれたり気を遣ってくれたのですが、それすら「どうせ出られる子のママに、私の気持ちなんてわからない」と、何もかもが嫌になってしまって、サッカー以外でも子どもや夫にあたる日々です。
正直どうしたら良いのかわかりません。
サッカーやめさせると言っても、嫌だと言って子どもは1人で練習に行くようになりました。
上達しないのに、時間の無駄だと思ってしまいます。こんな自分が本当に嫌です。
どうしたらよいのでしょうか。
<島沢さんからの回答>
ご相談ありがとうございます。
匿名だからできることかもしれませんが、とても正直な気持ちがお母さんのメールから伝わってきます。きっと実直で素直な方なのだろうと勝手に予想しました。
加えて、お母さんのメールにとても感心してしまいました。なぜなら、お母さんは「自分と全く同じ問題だと感じた」と、5年近くも前に配信された過去記事を読んだうえでご相談されているからです。前の記事を読んでからメールしてくださるともっと深い話ができるのになあと少々残念な気持ちになることのほうが多いので、今回はとても助かります。
■自覚している分、問題の半分は解決している
愛するわが子を試合に出してもらえないイライラ。
がっかりしてしまう気持ち。
家族に当たってしまう自分。
試合に出られないからでしょうか。「サッカーをやめさせる」とまでお子さんに迫っています。
しかしながら、「上達しないのに、時間の無駄だと思ってしまう」ご自分を強く嫌悪しています。
そうです。お母さんはもう気づいています。
「今の自分のままではダメだ」と。
お母さん、大丈夫です。この問題の半分はすでに解決しています。何も不安に思うことはありません。一緒に、イライラやモヤモヤを鎮めましょう。
■期待の両隣には「悦び」と「嫌悪感」が存在する
まず最初に、私の経験も伝えつつ、お母さんの気持ちを整理したいと思います。
私が仲間と毎月開催している「スポハグカフェ」で、6月19日にスポーツをテーマにした講座を開きました。
サッカースペイン1部リーグのビジャレアルのスタッフを務める佐伯夕利子さんがゲストのひとりでした。彼女が心理学の専門家らと指導改革をされた話をまとめた『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』(小学館新書)を作った縁で、お付き合いが続いています。
佐伯さんによると、「期待する」という感情の両隣りには、「悦び」と「嫌悪感」が存在するそうです。
■期待通りにならないとき、期待は嫌悪感に代わる
私たち親という人間は、自分の子どもが自分たちの期待通りに物事を成し遂げてくれたり、期待した通り、もしくはそれ以上の成果をあげてくれたら喜びます。漢字はさまざまありますが悦びの感情に包まれます。私もサッカー親でしたから、息子や娘が試合に出たり、活躍すれば嬉しかったです。
ところが、期待した通りにならなかったり、大きく期待を裏切る結果を見せられた途端、期待した感情は「嫌悪感」に変化すると言います。子どもに対し「ダメな結果しか出せないヤツだ」と嫌悪する、というのです。
これを聞いたとき、私は深く納得しました。
ああ、あの時に感じた「がっかりした」とか「情けない」といった負の感情は、そういうことだったのかと。怒りとか憎しみとは違う、強いイライラ感。そして、子どもに対しイライラする自分を認識したときに必ず押し寄せる自己嫌悪。恥ずかしい気持ち。私自身「あのとき子どもを嫌悪していたのだ」と改めて気づかされました。
当時はこうやって言葉にして自己分析できませんでしたが、私は悦びと嫌悪感を行ったり来たりしていたわけです。いいときは一緒に悦ぶ一方で、そうでないときは子どもにひどい態度を見せていたかもしれません。
■悪い結果を呪い、イライラする自分を呪っていた
しかし、私にそれはおかしいことだと気づかせてくれたのは夫でした。夫は息子をなじったり目の前で嫌な態度を見せたりしませんでしたが、私の前では息子をダメなやつだと否定しました。すると、それを聞いた私は怒り出します。
「試合に出られなくて一番つらいのはあの子じゃないのか」「本人は一生懸命やっているのかもしれないのに、そんな言い方はひどい」と夫を責めました。
すると、夫は「はあ?」と怒って反撃に出ます。
「よく言うよ。ママなんかさっきまであいつを怒ってたじゃないか。やる気が感じられないとか、一生懸命やってないとか」
そうなのです。自分も夫と同じことをしていたことに気づかない。嫌悪感という感情の渦の中でぐるぐる回っているので、冷静でいられなかったのでしょう。しかし、同様に感情的になって息子への嫌悪感を丸出しにする夫の姿を見て、気付くわけです。それは恐らく夫も同じことだったと思います。
その後、さまざまな学びを得て、少しずつ自省できるようになりました。子どもたちが度々運んでくる悪い結果を呪う一方で、「そんなことでイライラしたり落ち込む自分は親失格だ」と自分を呪う。まさに異なる呪いパンチの撃ち合いです。