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弱小チームのチカラを引き出す! 暁星高校林義規監督の教え

干されたことが大きな財産に!「出てるやつだけの力じゃねえんだ」

公開:2014年12月24日 更新:2020年3月24日

キーワード:暁星高校林義規選手権高校サッカー

※本稿は、『弱小校のチカラを引き出す』(著者・篠幸彦、東邦出版刊)の一部を転載したものです。
 

 
あなたの子どももサッカーを続けていれば通る道!? 高校サッカーのリアルがここにある。弱小校の子どもたちの力を引き出し、暁星高校サッカー部を全国出場に導いた林義規監督を追うルポルタージュ。短期集中連載、第2回。(取材・文 篠幸彦)
 
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大学生時代の記憶を鮮明に語ってくれた林監督(写真 サカイク編集部)
 
<<[第1回]コンクリートのグラウンドから全国高校サッカー選手権大会出場
 
 

■恩師・堀江忠男という男

1936年(昭和11年)、ベルリン五輪。サッカー日本代表は、1回戦で優勝候補のスウェーデン代表と対戦した。日本は前半に2点を奪われて0ー2で前半を折り返す。しかし、後半に3点を奪い返して3―2の大逆転劇で勝利を収めた。日本は初めて五輪のサッカー競技に参加した大会で優勝候補を打ち破ったのだ。その歴史的快挙は《ベルリンの奇跡》と呼ばれ、大きく報じられた。この試合に当時まだ早稲田大在学中の堀江忠男は右のフルバックで出場していた。堀江は前半早々に腕を骨折するが、この時代にはまだ選手交代というルールがなかった。そのため、負傷を抱えたまま試合終了のホイッスルが鳴らされるまで戦い通した。堀江はその闘志のみならず、理論派としてもチームに貢献していたという。
 
「当時の監督が鈴木重義さんで、コーチが工藤孝一さんだけど、実際にピッチの中で作戦を練っていたのは堀江先生だからね」
 
ベルリン五輪後、堀江は新聞記者を15年務め、1951年(昭和26年)から早稲田大学政治経済学部の教授として教鞭をとりながらサッカー部の監督に就任。以来、天皇杯優勝(学生チームが優勝したのはこの早稲田大が最後)をはじめ、全日本大学サッカー選手権優勝、関東大学サッカーリーグ3連覇など、数々のタイトルを名門に積み上げた。愛弟子には吉田、西野、加藤のほか、岡田武史、原博実、関塚隆、城福浩など、現在の日本サッカーの中核を担う人材を育て上げた。堀江は早稲田大で大学サッカー界のみならず、日本サッカー界で一時代を築いた名監督のひとりだった。
 
「とにかく厳しかった。有無を言わさずというかね。妥協とか、人におべっか使うとか、そんなことは一切なし。本物だよ」
 

■先輩、俺もう辞めてえんだけど

暁星高でまともな指導を受けることができなかった林監督にとって、堀江率いる早稲田大サッカー部のレベルは想像を絶した。入部まもなくして挫折が頭をよぎったという。
 
「もう入ってすぐだよ。6月くらいだったかな。一生懸命やろうと思ったんだけど、とにかく上手いやつばっかで全然ついていけなかった。ダメだこりゃって。もうずらかっちゃおっかなって思ったよ」
 
当時、早稲田大サッカー部に暁星高出身の先輩は当然いない。林監督は苦悩を誰にも相談できずにいた。ただそのとき、ひとりだけ気にかけてくれた先輩がいたという。
 
「1つ上に大阪の明星高校から来た川本章夫という先輩がいたの。先輩の親父っていうのが、川本泰三といってあのベルリン五輪のスウェーデン戦で、五輪での日本初ゴールを決めたセンターフォワードなんだよ。その倅でさ。それで明星ってのは暁星の姉妹校なんだな。だから頼れるというか、俺のことを可愛がってくれたんだよ」
 
林監督は唯一つながりのあった川本先輩にだけ本音を漏らした。
 
「『先輩、俺もう辞めてえんだけど』って、そしたら『お前はいいけど、次に暁星から入ってくる後輩たちがそういう目で見られるんだぞ』って、そう言ってくれたんだよ」
 
川本先輩のその言葉が、林監督を留まらせた。大学を出て自分が面倒みようと思っている後輩に迷惑はかけられない。そんな想いだった。
 

■一生懸命やれば2、3か月でなんとかなる

「ただね、もう3カ月やったら辞めようと思ってた。当時はみんな推薦じゃなくて一般入試で入ってたから、もう勉強に切り替えようって」
 
あと3カ月は頑張ろう――。
 
林監督はやり切れない思いをなんとか胸に押し込めて懸命に練習に励んだ。それでも、2軍に入ることすら遥か遠い目標に思えた。
 
しかしある日、転機が訪れる。
 
「俺なんか絶対に2軍にも入れない。そう思ってたんだけど、それがある日の名古屋遠征で名前を呼ばれたんだよ。もちろん試合になんて出られない。16番か、17番目の選手だからね」
 
それでも林監督は名古屋遠征を機に活力を取り戻した。サッカー部を辞めることなく、次第に試合で使われるようになり、川本先輩以外からも可愛がってもらえるようになったそうだ。
 
「まぁ、あの年は1年生が少なかったということもあったんだけどね。でもそのときに思ったんだよ。人ってね、一生懸命やれば2、3カ月でなんとかなるんだなって」
 

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取材・文 篠幸彦 写真 サカイク編集部

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