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自分で考えて決められる 賢い子供 究極の育て方
体格も運動神経も普通、レギュラーでもない。引っ込み思案だった子が海外リーグで主力に。逆輸入元Jリーガーが変われたキッカケ
公開:2019年4月25日 更新:2024年6月 4日
Jリーガーになりたい。プロのサッカー選手になりたい。そんな夢を描いてプレーする子どもたちの可能性を信じてサポートするのが親の役目。それはわかっていても、一人の大人、人生の先輩として、すべての子どもの夢が叶うわけではないことも知っている......。
サッカーをプレーする子を持つ親として、この現実をどう考えるかは大きな悩みの一つでしょう。
しかし、サッカーと人生を分けて考えなくても良いとしたらどうでしょう? サッカーをプレーすることが人生を生き抜く技術になる。そこで必要となるのは思考力、判断力、表現力といった問題解決能力、つまり「ライフスキル」です。このライフスキルはサッカーにおいても、もっとも重要なスキルであり、サッカーを通して身につけ、伸ばし、強化することができます。
2017年の春よりサカイクキャンプではライフスキルプログラムを導入しており、この度サカイクとして「自分で考えて決断できる」子どもに育てるための親の関わり方のヒントをまとめた「自分で決められる賢い子供 究極の育て方」を発売しました。
この連載では、サッカーで"ライフスキル"を得た人たちを紹介していきます。
第2回目は、ラトビア、ウズベキスタン、ポーランドなどで活躍した異色の"海外組"柴村直弥選手(南葛SC)の登場です。
日本人選手がほとんどプレーしたことない国で、自らの実績のみを頼りにキャリアを切り拓けた理由とは? また、柴村選手はサッカーを通して"世界"と触れることで何を得たのでしょうか? そこには柴村選手が持っていた「成長できる才能」が大きく関係していました。
※ライフスキルとは、WHO(世界保健機関)が各国の学校の教育課程へ導入を提案している考え方で、「人生で起こるさまざまな問題や要求に対して、建設的かつ効果的に対処するために必要な能力」と定義されています。
(取材・文:大塚一樹 写真:長束恭行)
後編:内気で人見知りな非エリート元Jリーガーが、森崎兄弟、駒野友一らから学んだこと>>
■異色の"海外組"の子ども時代は「他の子よりできなかった」?
「小学生ぐらいの自分を振り返ると、どれもなかったなという気がしますね」
シンガポールでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、ラトビアリーグで活躍、ウズベキスタン、ポーランド、そしてJリーグへの「逆輸入」と特異なキャリアを歩んできた柴村選手。
「きっとこの方は、ライフスキルの塊なんだろうな」というインタビュー前の予想はご本人の言葉でいきなり覆されました。
「とにかく引っ込み思案だったんですよ。考える力......うーん、子どもの頃はいまほど考えていなかったし、女の子に話しかけられるだけで顔が真っ赤になるくらいだったのでコミュニケーション力もなかったなぁ。リーダーシップなんて一番ない。正反対ですね。チャレンジ......いま振り返ればサッカー人生がチャレンジの連続でしたけど、そのときから意識してやっていたかと言われると......。感謝もそうですね。サッカーできることにすごく感謝していますけど、それもいろいろな経験をしてわかったことですからね。子どもの頃はすべてにおいて他の子よりできてなかったんじゃないかと思います(笑)」
サカイクの掲げる5つのライフスキルについて話を聞くと、単身ヨーロッパに乗り込み、そこで結果を残して現地のサポーターにも評価されたサッカー選手とは思えないような言葉が続けざまに出てきました。さらに話を聞いていくと、柴村選手がラトビア、ウズベキスタン、ポーランドなどほかのサッカー選手とは違うキャリアを歩んだ理由、そこで活躍できた理由に"計画"と"成長"があることがわかってきました。
――豊富な海外経験、単身で日本ではほとんど"未知の世界"だったリーグに挑戦して来たキャリアを見ると、自分で考え、チャレンジし、コミュニケーション力も人並み外れいたんだろうなと思ってしまいます。
「どうですかねえ。少なくとも子どもの頃から、生まれ持った才能とかそういうものじゃないですよね。サッカーをはじめたきっかけは、それこそいまプレーしている南葛SCの元になっている『キャプテン翼』を見たことなんですけど、うまい選手じゃなかったし、運動能力、身体能力も普通でした。かといって、頭脳的なプレーができていたわけでもないし、キャプテンになるようなリーダーシップもありませんでした。小学校5年生の時にJリーグ開幕して、地元の広島にもサンフレッチェというプロクラブができました。そのとき『自分も将来プロサッカー選手、Jリーガーになるんだ』という夢を持ちましたけど、それはあくまでも夢でした。どうすればプロになれるとか、自分はサッカーがうまいからなれるはずだという道筋や根拠は何一つない本当にただの夢でしたよね」
■「空き地の自主トレ」が生んだディフェンダーとして活躍する素地
――その「ただの夢」が現実の目標になったのはいつくらいですか?
「手応えとかは全然なかったですけど、自分なりには努力していましたね。考えた結果、いま自分にできることをやってみようと思ったんです。まず思いついたのはサッカー選手は足が速い方がいいだろうということ。ネットでトレーニング方法を調べられる時代ではなかったので、子どもながらにダッシュをしたらいいだろうと。それと、ジャンプ力も必要だと思って、家の近くの空き地でダッシュとジャンプを始めました。ダッシュは息が上がった状態で連続でやるんじゃなくて、呼吸を整えた状態で走った方がマックスのスピードで走れる。こっちの方がトレーニングなるなとか、ジャンプでもただ飛ぶだけではサッカーには役立たないので、常にボールがあることを想像して思いっきりジャンプする。それを毎日繰り返していました」
――空き地での自主トレが自分で考えてサッカーに取り組む最初の一歩だったわけですね。
「これが効果があったんですよ。だから続けられたし、練習を工夫する習慣がついたのかもしれません。中学校1年生のスポーツテストの記録が50メートル走7秒4、垂直跳び50センチとごくごく普通だったのが、1年間空き地トレーニングを続けていたら、50メートルが6秒8、垂直跳びが61 センチに。3年生には 6秒3、71センチとどんどん記録が伸びたんです。高校1年生の時には80センチ、6秒1を記録して、もう中3の頃には自分でもプレー中のスピードが違うなとか、滞空時間が長くなったなとか体感できるレベルで変わってきたんですよね。中学3年生の頃、試合の後に当時サンフレッチェ広島ジュニアユースのコーチをされていた横内さん(現日本代表コーチ)に『お前、足速いなー!』と言われ、あ、足速くなってるんだ、と感じたのを覚えています」
――サイドバックやセンターバック、ディフェンダーとして時に屈強な長身選手と渡り合う柴村選手のプレースタイルはこのとき磨かれたと。
「勉強してテストの点が良くなっていく感じですよね。学校の勉強も嫌いじゃなかったんですけど、それと同じような感覚で記録が上がっていく、結果が出る嬉しさがありました。
――勉強も同じように決めたことをコツコツとやる子どもでした?
「ガリ勉というより、常に『もっと良い勉強方法はないか』と考えるような子でした。暗記やテストが将来どれくらい役に立つんだろう? みたいな気持ちもありましたが、仕組みは仕組みなので、勉強は一生懸命やっていましたね。数学の解き方を考えたりするのは得意。逆に苦手なのは国語。読書感想文とか『このときの主人公の心情を答えよ』とかそういうのは難しかった。コミュニケーション能力がなかったんでしょうね。自分の感情を表現するのも下手でした。テスト期間になると計画表とか書くじゃないですか。一週間の勉強のスケジュールをつくるのとかは好きで、でも計画的かと言われると、書いた通りにやるんじゃなくて、早めに終わればその分サッカーができるという考えでやっていました。テスト期間はサッカーの練習を休む子も多いですけど、僕はやるべきことを終わらせてサッカーをやっていましたね」
サッカー選手になるための基本的な運動能力の強化、トレーニングの工夫、そして勉強時間と練習時間のバランスなど、何事も計画的に自分を成長させることを続けてきた柴村選手。成功する人は「努力する才能」を持っているといいますが、柴村選手はこのときまだサッカーではレギュラーというわけではなく、プロサッカー選手への道筋も「遠すぎて見えなかった」状態だったと言います。
「足が速くなって、ジャンプ力もついたのは良かったのでが、実は困ったこともあって......。いつも一人で"エア"でヘディングをしていたので、ボールの落下地点がわからない。人より高く飛べるのにボールを頭にヒットさせるタイミングがわからないという問題はありましたね(笑)」
――憧れや夢から具体的な目標になった瞬間みたいなものってあったんですか?
「転換期になったのは中学校2年生かもしれません。もともと小学校2年生の時にフジタサッカースクールというチームでサッカーを始めたんですけど、中学2年生の時に当時広島にあったフジタのジュニアユースにセレクションを受けて入ったんです。そこで、『プロになるため、サッカーをうまくなるためにはどうするか?』についてそれまで以上に真剣に考え出したんです」
落下点問題は後にボールを使った猛練習で克服したそうですが、成長を続ける柴村少年もこの頃はまだ、「自分一人で考える」ことしかしていませんでした。
この後、広島皆実高校に一般入試で進んだ柴村選手は、全国高校総体優勝、県選抜選出、国体3位に貢献することになるのですが、そのために必要だったのが子どもの頃には「かけらもなかった」と振り返るコミュニケーション力、リーダーシップでした。
コミュニケーション力、リーダーシップをどのように身につけ、成長させていったのかについては後編でお届けします。
後編:内気で人見知りな非エリート元Jリーガーが、森崎兄弟、駒野友一らから学んだこと>>
「自分で決められる賢い子供 究極の育て方」
柴村直弥(しばむら・なおや)
1982年9月11日生まれ
広島皆実高校2年時に全国高校総体優勝、国民体育大会3位
中央大学では2学年上の中村憲剛とチームメイトで2年時に関東大学2部リーグ優勝及びベストイレブン受賞
アルビレックス新潟シンガポールを経て、アビスパ福岡でJリーグデビュー。徳島ヴォルティスではキャプテンを務め、ガイナーレ鳥取、藤枝MYFCでプレーした後、2011年に欧州へ挑戦し、ラトビア1部の強豪FKヴェンツピルスと契約。ラトビア1部リーグ優勝、ラトビアカップ優勝を果たし、UEFAヨーロッパリーグにも出場。
当時ACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)全大会(11回)に出場しているアジアで唯一のクラブであるアジアの強豪FCパフタコールへ移籍し、ACLにも出場。
ポーランドでプレーした後、当時J1のヴァンフォーレ甲府へ移籍。
現在は南葛SCで選手兼ヘッドコーチとして活躍中。
母校の中央大学や広島皆実高校はもちろん、JFAアカデミー福島や北星学園高校(北海道)、サッカーアフガニスタン女子代表チームなど、様々な場所やカテゴリーで自身の経験を生かした講演活動等を行っている。
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